民主党
昨日の選挙、民主党が308議席を獲得し歴史的な大勝となった。今回の選挙で自民党と民主党、どちらの政策をみてもほとんど同じように見えた。どちらも社民主義の政策をズラリとならべ、違うのは金の放出方法ぐらいだった。国民からすれば、民主党のほうがより具体的な数字を出していたので、そこに魅かれた部分は十分あったろう。▼ちょっと10年前を振り返ってみよう。自民党は橋本、小渕、そして森と3人の総理を担ぎ、権力の座にあった。時代はバブル経済が弾けた後の失われた10年、不良債権が積もりに積もり、日本経済は行き詰まり、政治では自民党旧田中派の手法はまったく通用せず、傷口を広げるばかりだった。その時野党だった民主党の代表は鳩山、日本政治の抜本的な構造改革を唱えていた。▼新自由主義を唱える民主党と、旧田中派の社民主義を唱える自民党は鋭く対立したが、民主党は自民党を倒すまでの力はもっていなかった。そこで登場したのが小泉だ。自民党をぶっ壊すといい、構造改革路線を掲げ徹底した新自由主義を唱えた。小泉は、これまでの自民党の権力を牛耳ってきた旧田中派を抵抗勢力と呼び、対立し、容赦なく攻撃した。お株を奪われた形の民主党の鳩山代表は、当時国会でこのように発言している。「小泉さんが構造改革をやるというなら応援する。ただ自民党の守旧派が足を引っ張るだろう。そうであれば、小泉さんの頭を引っ張るのが民主党だ。」と。▼その後、小泉は自民党内の抵抗勢力を押さえ込み、ある程度の改革を成し遂げることに成功した。ただ、それに伴う弊害も大きく、日本はかつてない社会の格差問題に苦しむようになる。これは新自由主義の明らかな副産物だった。小泉時代、民主党はどうだったか。民主党は菅が代表のときに、小沢が率いる自由党と合併した。これがその後の民主党の路線を大きく変えることになる。小沢は自民党旧田中派の出身、民主党の中で確実に勢力を伸ばし、やがて代表の座につくと、民主党の路線を生活重視の社民主義へと変更していった。そしていつのまにか、新自由主義の小泉自民党と社民主義の小沢民主党という、昔とは逆転の対立構造となったのだ。▼小泉退場後の自民党は小泉構造改革の弊害の克服ができず、あっさりと新自由主義路線を捨て、社民主義へと舵を切り始める。そこで迎えたのが前回の参院選、そして今回の衆院選だった。結果は小泉というスターなき後の賞費期限切れの自民党に勝ち目はなく、両方とも民主党の勝利。これは一見、歴史的な新しい政権が誕生したかのように思われるが、実際は10年かけて日本政治は再び旧田中派の時代に戻っただけのようにも見える。▼ただしこれまでと違うのは、民主党という政党が一貫として野党でありつづけ、政権に座ったことは一度もないことだ。民主党が、しがらみのない新しいまっさらな目で、日本政治を見つめたとき果たして変革はあるのかもしれない。
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